葵香の勝手 宮小説の世界

yahooブログ「Today is the another day」からこちらに移行しました。

LOVE PHANTOM episode 50

あっという間に時間は過ぎていく。

いつの間にか昼になり、医師団がシンの様態を見にやってきた。

それは姉であるヘミョンから聞いてはいた。

「こんにちは、チェギョン様。お初にお目にかかります。わたくし、パク・チョンと申します。
 よろしくお願いします。」

そう言って頭を下げられ、チェギョンも同じように頭を下げる。

彼と数名の看護士は何事もなくシンのベッドに近寄り、様子を見て、紙に記入していく。

「チェギョン様、ただ今陛下は安定しております。
 もし、何かございましたら、こちらのボタンを押してください。
 緊急用のボタンになっています。常時私のほかに誰か1名は別室で待機しています。
 そちらにつながるようになっておりまして、すぐさま駆けつけることができます。
 そうでなくとも聞きたいことがあればいつでも押してわたくしどもをお呼びください。
 チェギョン様、私たちはあなたが帰ってきてくれてとてもうれしく思っています。
 本来なら不謹慎なことかも知れません。
 でも、陛下にとってはきっとあなたが必要なんです。
 陛下はいつ目覚めるかは分かりません。
 でも、あなたがいるのといないのとでは違うと私たちは思っています。
 根気がいることとは思いますが、どうか傍についていてあげてください。」

パク医師はそう言って、退出していった。


数日後、彼は新しい看護師を連れてきた。

看護師といっても介護もするベテランの婦人だった。

年はシンの両親くらいの年齢。

パク医師もそのくらいの年齢だ。

「こんにちは、チェギョン様。新しくお世話になりますカン・モレと申します。
 よろしくお願いします。」

彼女はとても柔和な人で、チェギョンもその人柄がすぐに好きになった。

彼女はよく働き、時にはチェギョンの話し相手になった。

チェギョンも彼女にどんなことでも聞いた。

シンが眠るベッドの横で時には笑いながらあれこれと話をした。

その時間はとても貴重な時間だった。

パク医師が回診に来る時も彼女はよき看護師だった。

信頼関係がとても濃く、厚かった。

チェギョンはうらやましそうに見ていた。

「いいですね。ご夫婦としても医師と看護師としてもとても強いきずなを感じます。
 そして信頼関係ももちろんですが。
 うらやましいですよ。そんなお二人の関係が…。」

本当にそうだった。

どうしたらこんな夫婦になれるのだろう?

どうしたらこんな信頼関係が築かれるのだろう?

それがチェギョンの頭の中に蠢いていた。

「チェギョンさん、私たちもあなたと同じように政略結婚でした。
 私はとある病院の院長の娘で、無理矢理嫁がされたんです。あったこともない彼に。
 その当時看護師をしていましたが、病院が違えば彼のことなんんてまったく知らないんです。
 新婚旅行も結局してないんです、私たち。
 今もそうですが、主人は仕事一辺倒な人で。
 彼は四六時中病院にいましたし、偶に帰ってきても呼び出されれば病院に駆けつけてました。
 それでも時間のない中子供が二人できました。」

彼女はそう言って笑った。

それでも子育ては楽しかったという。

「それからは子供中心で、主人のことなんて眼中になし。
 まあほとんど家にいなかった人ですからね。彼が参観日に参加したことなんてないんです。
 喧嘩もしたこともないんです。したとしても途中で彼は呼び出されますから…。
 結局私はあきらめたんです。
 喧嘩を吹っ掛けることもしなかったし、子育てのことで相談したこともないんです。
 したとしても『お前の好きにしろ』で終わります。だから私が決めていました。」

チェギョンは考えていた。

もしシンと愛情のないまま抱き合い、ただただ子供を作っただけだったら…。

同じように『好きにしろ』で終わっていたのかもしれない。

ただ違っていたのはきっと子供が3歳とか5歳になったら自分の手元から離されること。

生まれてもすぐ自分で育てることはできなかっただろうと思うことだった。 

「愛情があったのかなかったのか、今はそれ相応にあります。
 あると思います。でもあの頃あったかと言えば・・・難しいですね。
 主人を医師としては尊敬しています、今も昔も。
 子育てが終了した頃、主人からまた看護師として復帰しないかと言われたんです。
 嬉しかったですよ。この人は私をずっと見ていてくれたんだって。
 それから主人の横でずっと看護師として働いてきました。
 夫というよりそれ以上に医師としてお互い仕事のパートナーとしての絆の方が深いと思います。
 私は決して不幸ではありません。幸せです。今も昔も。不平不満はありますけど。
 でもきっと彼は気づかない。それでいいんだと思うんです。
 チェギョンさん、幸せでしたか?皇太子妃として過ごした日々は?」

チェギョンはその問いにニコリと笑って頷いた。

ケンカもした。

お互いを罵った。

それでも仲良く旅行に行ったりもした。

たくさん泣いたが、同じようにたくさん笑った。

「私はあなたがうらやましいですよ。今も昔も陛下はあなただけを想ってる。
 ほら、見てください。
 あなたがいなかった頃も私はある時お顔を拝見しましたが、その頃より断然顔色がいいですよ。
 あなたがいることはきっと陛下はわかってるのだと思いますよ。
 いつ目覚めるのか誰もわかりません。でもきっと目覚めると思います。
 そう願ってます。あなたがいる限り、陛下は幸せですよ。」

モレはシンの顔を見て微笑んだ。

看護師が言うのならそうなのだろう。

それが回復の兆しなのかは分からないが。

「モレさん、イギリスでミンスを育てていてとても幸せでした。
 あの子を授けてくれたシン君に本当に感謝してます。でも、それでも彼のことが心の底で心配でした。
 『あなたはどうなの?あなたは幸せなの?』て。
 でも、チェヨンがいることを知らされて、私は純粋にうれしかった。
 でも…それでも…ふと思うんです。二人で育てたかったって。
 相談しながら喧嘩しながら笑いながら家族として彼と子育てがしたかった。
 一緒にいたかった。傍にいたかった。
 私たちが別れたことは確かに私たちの意思とは関係ないところで審議され、受理されました。
 あんな別れは二度としたくない。身を千切られるほどの痛みを伴うものなんて…。」

あんな痛みはもうこりごり。

というか次にそれがあったら自分自身死んでしまうだろうとチェギョンはそう漠然と思う。

這い上がることも生きることも放棄するだろう。

生きていても死んでいる状態になるのか。

そうなるだろうと…。

20年前のあの時はミンスがいたからどうにか生きられた。

這い上がれた。

ミンスさんに話されたことは?」

その問いにチェギョンはただ首を振った。

おそらく誰も知らないだろう。

二人がどのようにして身を千切られるほどの別れをしたのか…を。

知っているのは当事者のシンとチェギョンだけ。

「陛下も話したことはありません。聞いたこともありません。
 国民誰一人知らないんです。きっと皇太子さまも知りませんよ。」

「ええ、僕も知りませんよ。おふた方がどういう風に別離したのか。
 よろしければ教えていただけませんか?
 僕たちにはそれを知る権利はあると思いますよ。」

扉の先にチェヨンミンス、二人がいた。

チェギョンはどうしようかと迷った。

消化しきれたわけではないが、20年経った今でも痛みはまだ残ってる。

「チェギョンさん、話すことで少しは軽くなるという言い方はおかしいかもしれませんが、
 人に話すことはいいことだと思いますよ。」

モレのその一言にチェギョンはため息を一息、フーっと吐き出した。

チェヨンミンス、途中で言えなくなるかもしれないけど、ゆっくり話すよ。
 時間はたくさんかかると思うけど、最後まで聞いてちょうだい。
 モレさん、モレさんも横で聞いて下さいませんか?」

モレは快く『いいですよ』と快諾した。