葵香の勝手 宮小説の世界

yahooブログ「Today is the another day」からこちらに移行しました。

一本の樹

シンは執務を終え、早々と東宮殿に戻っていた。

けれど、そこにはいつも明るく迎えてくれる妻、シン・チェギョンの姿はなかった。


―――あいつ…、確か今日は公務でまだ帰っていないのか…―――


そう言えばそうだったと思いだし、ベッドに腰掛け、普段あまり見ないテレビをつけた。

ちょうどニュースの時間で、隣国である日本の東京の桜の満開の様子を伝えていた。


―――もうそんな時期か?―――


季節はいつの間にか春へと姿を変えようとしていた。


―――そう言えば、庭にも一本桜の木があったな…―――


シンはそう思うと、ジャケットを持ち、庭へと出た。

コン内官にはきちんと「少し散歩に出かけます」と用件を伝えて。

咲いているのか咲いていないのか、それも分からなかった。

けれど、どうか1つでもいいから、咲いていてという思いで幼いころ言ったことのある場所に向かう。

やはり同じように咲いていた。

最近の暖かい気候に誘われてどうも咲かせたようだった。


―――お祖父様はこの花が嫌いだった―――


幼いころに一度だけ連れてきてもらったこの場所。

祖父である聖祖陛下は桜が満開になり散りゆく姿があまりにも哀愁漂わせるその様子を嫌っていた。

それなのに物悲しそうに眺めていたことを思い出す。

満開だったのが風に誘われてさわさわと散っていた。

幼心にもそれは確かに哀しく見えた。


―――あいつが見たら喜びそうだな―――


シンは少し離れた別の木に寄りかかり、眺めていた。

やはり幼いころに思ったことは今でもそう思うらしい。

今でも哀しいと思ってしまう。

人の生死を見事に立った数日間で描くようなその有り様にシン自身もそう思うしかなかった。

シンは数日後には起こるであろう出来事を思い描き、自然と一粒涙が頬を伝い落ちた。


―――それでもこの桜という木を愛でてしまうのは、それがわかっているからだろうか…―――


バカだと思う。

とてもバカだと思う。

嫌だと思いながら、魅入ってしまうこの切なさ。

祖父の気持ちが少しわかった気がした。

シンは自然と流れ落ちる涙を止めようとはしなかった。

ズボンのポケットに手を入れ、ずっと眺めていた。


ジャケットの内ポケットに入れていたケイタイが鳴る。

取り出し、見てみるとやはり相手は彼女だった。

「……。」

シンは何も言わなかった。

目線は桜に向けたまま。

「…シン君?聞こえる?」

チェギョンの声は明るい。

その声にシンは少しだけ微笑む。

「…聞こえてるよ。」

「どこにいるの?」

チェギョンの心配そうな声が聞こえる。

「桜の木の近く…。」

シンはそれだけを言って電話を切った。


数分後、チェギョンはシンを見つけた。

桜の場所を知っている人間は宮廷内にあまりいなかった。

どう見ても一番宮廷内で日当たりがいい場所に桜の木は存在していた。

咲き誇る一本の大木。しだれ桜。

チェギョンは夫の顔に涙が伝い落ちた痕を見た。

何も言わず、咎めず夫の腕に自分の腕をからめる。

そして同じようにシンの視線の先にある桜を眺めていた。

「キレイね。でも…カナシイね…。」

シンはチェギョンを一瞬見たあと、何も言わずまた桜を見ていた。

そこへ突如突風が吹いた。

シンもチェギョンも目の上あたりを手で風除けする。

目線の先の桜はそれによって、バラバラと散っていった。

その姿はやはり哀愁漂い、哀しかった。

シンはその姿を見て、これ以上耐えられないと思ったのかチェギョンの手を引き、無理矢理背を向け歩き出した。

チェギョンは一瞬「え?」と思ったが、大人しく夫に従った。

「見るのではなかった…。」

シンはポツリとつぶやいた。

チェギョンはその言葉に絡んでいた腕を離し、再度手を力強く握りしめ、シンの顔を見た。

瞳と瞳がぶつかる。

シンはチェギョンの言いたいことがわかったのか、ふッとニヒルに笑って、来た道を歩きだす。

チェギョンは握りしめたまま夫に寄りかかり、東宮殿まで歩いて行った。

「なぁチェギョン、知ってるか?」

その声と顔は何かを企んでいるような顔をしていた。

嫌だな~と思いながらその回答を待った。

「桜の木の下には死体が埋まってるっていう話。」

チェギョンはその言葉に更に強くシンにしがみつく。

シンは身体を震わせながら笑っていた。

「っ嘘だよ。そんな物語が日本にあるっていうだけさ。
 何だったら今日一日中こんな風にくっついてたっていいんだぞ!!」

シンはチェギョンを一層引き寄せる。

からかわれたことがわかったチェギョンは顔を真っ赤にさせ、腕を解き放ち、ずんずんと先を歩きだす。

シンは後ろからその様子を面白そうに、とても楽しそうに、腹を押えて笑いをこらえていた。



―――でも、もし俺より先にお前が逝ってしまったらそうなればいい…。
          そうすれば、一年に一回お前は俺の前に戻ってきてくれるだろう…―――


笑っていた顔を真顔に変え、ポケットに手を入れたまま、桜の木がある方を見る。

「シン君、いつまでつっ立ってるの?置いてっちゃうよ~。」

その声に振り向くとチェギョンは両手を腰に当てたまま、ぷーっと顔を膨らませている。


―――愛い奴…―――


シンは苦笑し、チェギョンの傍まで走る。

風に誘われチェギョンの頭に一枚の桜の花が落ちる。

チェギョンは首を少し傾げたまま、さもかわいいでしょうと言いたげだった。

カメラを持ってればよかったなと思うが、それは今手元にはない。

シンはほほ笑むと、チェギョンの頭をガシガシと乱暴に撫でる。

「もう…(怒)」

かわいい顔で怒られても、効果はない。

シンは再度チェギョンの手を握り、東宮殿へと笑顔で帰って行った。